出張展示「布施から貝塚でまし展」を開催中です

内容
ヴェルノール布施5階のエスカレーター横ショーウィンドウにて、出張展示「布施から貝塚でまし展」を開催中です。
夢広場の地下には縄文時代から続く宮ノ下遺跡があります。
今回は、ビル建設時に発見された貝殻や動物の骨のほか、高さ1・2mほどの貝塚断面の剥ぎ取りや、出土した貝殻がぎっしり詰まった袋など、発掘時の様子がうかがえる展示物も交えて、足元に広がる大昔の布施を一部ご紹介します。
ヴェルノール布施5階の上りエスカレーターを降り、
進行方向右手のショーウィンドウにて展示中です。

宮ノ下遺跡とは
平成4年、布施駅北側の駅前再開発ビルに先立つ試掘調査で縄文時代晩期から弥生時代の貝塚が発見されたことで存在が知られました。その後の調査で、縄文時代晩期末から弥生時代中期初頭に形成されたセタシジミを中心とした淡水産の貝塚、中期後半の掘立柱建物、杭列、土坑墓ないし木棺墓などが発見されました。また、弥生時代後期末から古墳時代前期・中期後半、平安時代中期、鎌倉時代から室町時代の遺物も出土しており、各時代の集落が存在したと考えられます。
最大の貝塚は、南北約25m東西約10m、厚さ約1mの規模があります。貝塚には、棄てられた土器、木製品や石器のほか、食後に棄てられたマガキ・ハマグリ・サザエなどの貝や、イノシシなどの獣骨、また土偶も出土しています。貝塚が作られなくなる直前は、小規模なものに変化しており、入れ替わりに稲作に必要な石包丁などが出土します。これは、漁労・採集を中心とする漁村から中期中頃に稲作中心の農村に変化したことを示しています。背景として、湖の水位など自然環境の変化により、水稲耕作に適した土地が形成されたことが考えられます。
鎌倉時代は、旧大和川の自然堤防上に家がたち、その背後の緩傾斜地には畑地が、より低いところでは水田が作られる状況が想定されており、記録に見える「足代庄」にあたると考えられています。
